数日前私の父が老衰で亡くなった。死亡診断書には老衰死となっていたが、実際は腎不全による肺水腫と呼吸不全による死だとその経過から感じる。介護施設で亡くなったが呼吸が止まってから連絡があった。施設の判断は正しいと思う。生前頭の確かな時から無理な延命は止めてくれとの願望が強かったので、希望通りだが、もし仮に息子である私が延命を希望したら、人工呼吸をつけ、胃ろうをつけて今も生きていたかもしれない。しかしそれは残酷な話しだ。まず老衰がいい死に方かといえば近くで見ていてかわいそうに思えることが何度もあった。杖歩行、車椅子、寝たきり、おむつ介助、もうろうとした意識となり死ぬまでにだんだんと弱り約3年。脳出血や心筋梗塞、がん死などと比較してまわたで首を絞めれるように亡くなっていくのは本当にいい死に方だろうか。老衰死だとよかったねという人が多いが本当にそうだろうか。父を見ていて疑問に思う。やはり理想はピンピンコロリだろう。知り合いの医師は胃ろうや人工呼吸など自分がしてほしくない処置を何故患者にするのだろうかといつも悩んでいる。いったん延命すればだれもその人工呼吸器は外せない。政治家、宗教者、医師会などは政権に関係なく人の最期に関する法律に早く立ち向かってほしい。